今まで書いたYP5!の小話ログ


敗走




疲労に弱音を吐いている余裕などなかった。
縺れる足を必死に動かし、一秒でも早く一mでも遠くへ逃げなければ。
乱れる呼吸と早鐘のような心臓の音だけが耳を支配する。
薄暗いエターナルの廊下を、ただひたすらに走った。

付き当たった角を曲がると、様々な蒐集品が目に入ってきた。
これ見よがしに陳列された品々。
美しく歴史的価値のある芸術品から、ただの部品にしか見えない歯車、箱の中の永遠と引き換えに存在を消された動物の剥製。
以前シロップが入手し、コレクションとなった物もあった。
ありとあらゆるものが時を止めてその存在を主張している。此処から出してと。
ガラスケースの向こうでシロップを恨みがましく見ているような気さえした。
過去の卑怯な自分、それを見せつけられ沸き上がるうしろめたさ。
汗ばんだ手から、ローズパクトが滑り落ちそうになる。シロップは慌ててそれを胸に抱き直した。

嘘をついてしまった。また裏切ってしまった。
異質な自分を受け入れてくれた人達。
今は純粋に其処へ帰りたいと、そう思うのだ。
その何と図々しいこと。
(今も昔も俺は卑怯者だ)
噛み締めた言葉が苦しみを癒してくれる事はない。
再び走り出すその後ろを、危うさが付きまとう。
廊下に暗く長く、影が伸びていた。






うずまく波の子供




少し癖のある金茶の毛を、浅く指で梳いていく。
初めて知った。子供の髪は柔らかい。
(いやこれは羽毛、なのか)
原型が堅い皮膚で覆われている自分には、経験する事のない感触だ。
するすると指の間を流れるような心地よさが愉快で、何度も頭を掻き回す。
ソファをベッド代わりに占領された事は、もうどうでも良くなっていた。

一方、シロップは狸寝入りを決め込んでいた。
強面の上司が自分の頭を撫でている。相当不気味なのだ。
いつも眉間にしわを寄せているこの男。
一体今はどんな顔をしているのか、それが気になった。
しかしいきなり目を開けて、目が合ってしまったら気まずいし、かといって飛び起き逃げ出すという訳にも行かなさそうである。
(あ…)
頭を撫でる一定のリズム。
それが思いがけず気持ち良くて、再び眠りの波がやってきた。
このままでは本当に寝入ってしまう。
思いきって目を開けようと思った。
波に流されるのは癪に触るからだ。

「いつまで触ってるんですか」
「いやなに、少し面白くてね」
「人の髪いじってなにが楽しいんだよ」

決して不気味な顔と対面するのが楽しみ、という訳ではない。






ゆらぐ


まっくらの手だと思った。
ここはいつもの夢の続きで、静かにけれど確実に、ないはずの記憶に蓋をする。
耳を通して流れ込む偽物の言葉たちは、あたかも味方のように振る舞って、孤独だった心を意地悪く温めた。

「ここは嫌いだ」

何度となく思ってきた。
深い闇、怖い人、そして得体の知れぬぼんやりとした自分。
膝を抱え、もう一度目を閉じる。
泣いていた自分の目を優しく塞いでくれた人は、この闇が良く似合った。

「ここは嫌いだ」

何度呟いて確認してもそれは変わらない。

「けど、あそこよりはずっと良い」

ぬるま湯みたいな光の場所。
心なしか、片隅の闇が"ゆら"と蠢いた。






僕は青を忘れる




とても綺麗な流線形をしていた。
灯るほのかな青い炎がそのカーブをより美しく見せている。
どうやら、スコルプの今日の収穫らしい。
書類やインク壷、水差しに読みかけの本の几帳面な配置。その対角線上に鎮座するのは一つのランプだ。
綺麗な品で、芸術的価値など分からないシロップでさえ、そのランプがエターナルのコレクションに相応しい物だと言う事が分かった。
目線を炎に合わせてみる。 炎心のゆらゆら移り変わる光は、火と言うよりも水中を思わせた。
それでも頬に伝わってくるやわらかい熱と合わさって、まるで初夏の海。あたたかく涼しげな、なんとも不思議な心地だった。

景色を覆い焼く水にシロップは何度も眼をしばたかせた。
夢中で見る内、眼に光が残ってしまったのだ。
(まるで魔法みたいだ)
思い付いた少女のような思考に、げぇ、と舌を出す。
でもそれは本当に魔法か何かの産物に思えてしまう。

(だってこんなに海みたいで、)

不意に、指先がランプを撫でた。
少ない記憶の奥深く。
こんな青を知っている。

(あいつの眼に)

覚えている。

「何をしているんだ」
「!!」
音を立ててランプが倒れ、こぼれた火がシロップの手を舐めた。
「熱っ…」
見た目とは裏腹に炎は熱く、皮膚を少し焼いた。
赤くなった左手の甲を、シロップはぽかんと見つめる事しか出来ない。
「おい…!早く冷やさないか!」
スコルプの手が力強く手首を掴み、驚く暇もなく冷たさとジンジンという痛みがやってくる。
いつのまにか水差しの中身は空。机の上は水びだし。
これはやばい、と直感が告げた。
スコルプを怒らせた後の痛みは理解している。
「シロップ」
「…あの」
盗み見たスコルプはやはりいつもより険しい顔をしている。彼は怒っていた。
それもその筈。書類は書き直さないといけない。大切なコレクションにはヒビが入ってしまった。
睨み付ける男から目を逸らす。
お願いだから、掴んだ手を離してほしい。
その手はシロップが思うよりずっと熱かった。
そう、それこそ火傷してしまいそうな程。
シロップの遥か頭上で、スコルプの溜息が聞こえた。

「痕になったらどうする」

顔を上げると、赤い髪、赤い眼が、
まぶたの裏、焼き付いた青はもう、ない。






明日の肉を食む小鳥

※スコルプ×半獣ロプです。
二人ともある意味デレデレ。
二人ともある意味キャラ崩壊。
ご注意下さい。






















この人の手は骨張っている。
節榑立った指を辿り、肉厚な手のひらに唇を寄せる。
手のひらを中心に五本の指が生え、爪や皺を刻み出来ている。
そうやって学び、脳に認識されていく手の形。
その知識が蓄積し、思い描いた姿に変わる。

(こんな手にはしたくないな)

シロップは思った。
そして同時に自分の手を、否、自分の手となるであろう翼を見やる。
オレンジの羽毛は見飽きてしまった。
今度は同じような皮膚を纏う腕が欲しい。

「顔と体は上手に出来た」

不意にスコルプが言った。
頬を撫でる右手は手袋を填めている。
"上手に"、と褒められた事が嬉しくて笑みが零れた。

「腕と脚も上手く出来る」

呪文の様だ。なんでも出来てしまいそうな魔法の呪文。
左手の素肌が仄かに熱く温度を保つ。
親指を静かに食むと、強めの力で顎を押し下げられた。
また明日、同じ時間に練習しようと約束をする。
初めて此処に来た時の緊張はもう無い。

小羽が一枚、抜け落ちる。
シロップはスコルプの胸に頭を寄せた。


(心臓の音だ…)

次はこの鼓動を指で感じたい。
目を閉じて、そう思う。